今回は徳川家康について解説します。
wikipediaから引用
鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス
265年続く江戸時代をつくった徳川家康ってどんな人物?
1.幼少期の家康
2.関ヶ原の戦い
3.江戸の都市開発
1.幼少期の家康
1560年に織田信長が今川義元を討ち取ります(桶狭間の戦い)。これをきっかけに家康(19歳)は駿河国から故郷の三河国に帰りました。そして周りの助けを受けて三河国の勢力を拡大していきます。三方ヶ原の戦いでは武田信玄に敗北しますがその後は勝利し続けます。家康は信長と清州同盟を結び次第に信長に仕えるようになります。そして長篠の戦いでは武田軍にも勝利しました。
しかしここで大事件が起こります。本能寺の変で織田信長が明智光秀に討ち取られます。信長の後継者は家康ではなく豊臣秀吉でした。明智光秀を討ち取ったのは秀吉だったのでその功績から権力が強大になっていきました。家康は納得がいかず秀吉と敵対して小牧・長久手の戦いで争います。その後は和解して次は秀吉に仕えるようになりました。
秀吉に協力して関東を治めていた北条氏を倒し功績を挙げていきます。しかしこの頃から秀吉が家康の力を警戒し始めます。そして遠くに移動命令を出します。家康の側近は反発しましたが家康は受け入れ1590年に江戸を拠点にしました。
2.関ヶ原の戦い
そして家康は1603年に江戸幕府を開き征夷大将軍になります。これにより家康は天下を統一します。そしてこの江戸幕府(江戸時代)は265年続きます。
3.江戸の都市開発
次の問題は飲料水でした。江戸は海が近く井戸も真水が出なかったそうです。そこで家康は家臣の大久保忠行に指揮を執らせ水路を作らせて日本初の水道を完成させました。さらには武士が生活できるように商人や職人を増やす必要がありました。『江戸は住みやすくて良い所だよ』とアピールする為に医者など人々の生活に欠かせない人を呼び寄せ、安い家やトイレさらには銭湯もたくさん作りました。次第に人口も増えて江戸独自の文化が発展していきました。
一番有名な文化は食でした。寿司や天ぷらなど現代まで続く食文化がここで出来ました。また日本各地の大名たちを定期的に江戸に呼び寄せます。そして土木工事を命じて本格的に都市開発をします。これは天下普請と言われ大名たちは家康への忠誠心と信頼を獲得するために命がけで工事に取り組みました。
これにより江戸は急速に発展しました。現在の江戸(東京都)の土台を創った人物がまさにこの徳川家康です。
家康はとても健康志向だったと言われています。75歳で天寿を全うしました。
これで徳川家康について覚えておくべき事、3つを終わります。
そのほかにも沢山の出来事や人物が関わっていますので興味のある方は調べて見てください。
以上、参考になれば嬉しいです。
ありがとうございました。