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日本の有名な偉人 伊能忠敬について簡単に知りたい方、必見!!

今回は伊能忠敬(いのうただたか)について解説します。

伊能忠敬について覚えておくべき事、3つ

1.商売人としての活躍
2.蝦夷地(えぞち、現在の北海道)の地図作成
3.日本地図の完成

1.商売人としての活躍

伊能忠敬は下総(しもおさ、現在の千葉県)で三男として誕生。当時は長男が家業を継ぐのがあたりまえだったので忠敬は継ぐことが出来なかった。

そこで18歳の時に旧家に養子として迎えられる。そこから商売人として傾きかけた伊能家を立て直す事が忠敬の使命になる。
家業は酒造りだったが、その他にも米や麦などを育てて売ってどんどん商売を広げていく。そして様々な事業を成功させ使命をまっとうする。

ここまでは一社長の商売成功の話だが伊能忠敬は、その後の行動が凄かった。

2.蝦夷地(えぞち、現在の北海道)の地図作成

もともと忠敬は星や地図など天文学が大好きな少年だった。そこで軌道に乗った商売を息子にゆずり自由な身として天文学を学ぶようになる。

商売をやめて天文学の勉強をスタート。これは忠敬が51歳の時だった。その後、江戸に天文学を学びに行き天文学者として有名だった高橋至時(たかはし よしとき)の弟子になる。
高橋至時先生が32歳、伊能忠敬が51歳の生徒だった。そこで誰よりも勉強をして高橋先生の1番弟子になる。

その後、転機がおとずれる。高橋先生から江戸から蝦夷地までの土地を測って地図を作ってみないか?と言われる。当時はロシアが蝦夷地まで来ていて緊迫した状態だった。だから幕府からも許可が出るはずに違いないと言うのが高橋先生の考えだった。

これは忠敬が56歳の時だった。忠敬は息子と二人の助手、二人の労働者を連れて蝦夷地に向かう。一ヶ月に20〜30kmを歩き測量をした。蝦夷地は未開の土地だったので測量は困難を極めるが黙々と続け地図を作成する。

3.日本地図の完成

蝦夷地の測量の後、幕府からその功績を認められる。それから忠敬の測量の旅は日本全国へと広がっていく。

1801年からの3年間で東日本の東と西の一帯さらには東海道と北陸海岸、1804年からの2年間で西日本、1808年に四国と淡路島、1809年からの4年間で九州と中国地方、1814年から近畿から九州の残りの地域を測量した。こうして20年近くかけて日本地図(大日本沿海輿地全図)を完成させた。実際に歩いた距離は4万キロ(約地球1周分)を超えると言われている。

51歳から勉強を始めて約20年かけて日本地図を完成させた伊能忠敬の執念は凄まじい。さらにその地図は、ほぼ正確な地図だった。誰にも真似する事の出来ない偉業である。

これで伊能忠敬について覚えておくべき事、3つを終わります。

今回は、伊能忠敬の事を凝縮してお伝えしました。
そのほかにも沢山の出来事や人物が関わっていますので、興味のある方は調べて見てください。

わたくしも『何歳になっても学ぶ姿勢』を見習っていこうと思います。

以上、参考になれば嬉しいです。
ありがとうございました。

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