今回は明智光秀について解説します。
wikipediaから引用
『敵は本能寺にあり』
大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公
戦国時代の大事件『本能寺の変』で織田信長を討ち取った明智光秀ってどんな人物?
1.浪人時代
2.京都での活躍
3.本能寺の変
1.浪人時代
1556年に道三とその息子の義龍との戦い『長良川の戦い』が勃発し道三側で参戦しますが敗北します。光秀の命は助かりましたが無職になります。人生のどん底を味わいますがこの経験が光秀を大きく成長させました。
2.京都での活躍
その後、足利義昭に仕えます。この義昭が織田信長と繋がります。信長は義昭を利用して政治を支配しようとします。ここで信長と光秀が出会う事になります。信長は光秀の才能に惹かれ次第に信用していくようになり戦術の相談もするようになります。光秀は足利義昭と織田信長の両方に仕えている状態になります。
それから足利義昭と織田信長は対立するようになります。ここで光秀は信長に仕える事を決めます。この決断が日本の歴史に大きく関わっている事は言うまでもありません。
ここから光秀は数々の功績を残していきます(高屋城の戦い、長篠の戦い、越前一向一揆、丹波国の平定)。これによって光秀は34万石の大名になる事を認められました。1石は成人1人が1年間に消費する米の量にほぼ等しいと見なされていましたので34万石は34万人を養える権力を与えられたと言う事になります。
当時の織田信長と明智光秀は信頼し合っていたと言われています。
3.本能寺の変
その後、安土城をおさえた光秀でしたが協力者がおらず孤立します。そして羽柴秀吉(豊臣秀吉)との戦い、山崎の戦いで敗北し明智光秀は自害しました。本能寺の変から11日後の事でした。
光秀が信長を裏切った本当の理由は分かっていません。
そのほかにも沢山の出来事や人物が関わっていますので興味のある方は調べて見てください。
以上、参考になれば嬉しいです。
ありがとうございました。