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日本の有名な戦国武将 明智光秀について簡単に知りたい方、必見!!

今回は明智光秀について解説します。

wikipediaから引用

『敵は本能寺にあり』
大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公
戦国時代の大事件『本能寺の変』で織田信長を討ち取った明智光秀ってどんな人物?

明智光秀について覚えておくべき事、3つ
1.浪人時代
2.京都での活躍
3.本能寺の変

1.浪人時代

明智光秀は1516年に美濃国(現在の岐阜県)で生まれます。この地域は将軍家とも繋がりのある名門一族の土岐氏が治めていました。光秀も土岐一族の親戚でしたが身分は低かったそうです。当時は戦国時代で戦いや争いの絶えない世の中でした。その後、美濃国は斎藤道三が治めるようになり光秀は道三に仕えます。

1556年に道三とその息子の義龍との戦い『長良川の戦い』が勃発し道三側で参戦しますが敗北します。光秀の命は助かりましたが無職になります。人生のどん底を味わいますがこの経験が光秀を大きく成長させました。

2.京都での活躍

1565年に永禄の変が起こり13代将軍の足利義輝がこの世を去ります。突然に将軍を失ったので幕府内は混乱します。幕府は多くの人材を必要とするようになり光秀にも声がかかります。そして1568年に光秀は役人として幕府に仕えます。才能を生かし幕府内で活躍し出世していきます。

その後、足利義昭に仕えます。この義昭が織田信長と繋がります。信長は義昭を利用して政治を支配しようとします。ここで信長と光秀が出会う事になります。信長は光秀の才能に惹かれ次第に信用していくようになり戦術の相談もするようになります。光秀は足利義昭と織田信長の両方に仕えている状態になります。

それから足利義昭と織田信長は対立するようになります。ここで光秀は信長に仕える事を決めます。この決断が日本の歴史に大きく関わっている事は言うまでもありません。

ここから光秀は数々の功績を残していきます(高屋城の戦い、長篠の戦い、越前一向一揆、丹波国の平定)。これによって光秀は34万石の大名になる事を認められました。1石は成人1人が1年間に消費する米の量にほぼ等しいと見なされていましたので34万石は34万人を養える権力を与えられたと言う事になります。

当時の織田信長と明智光秀は信頼し合っていたと言われています。

3.本能寺の変

1582年に織田信長を裏切ります。信長が本能寺に居る時に攻め入ります。光秀が1万人の軍勢に対し信長は数十人だったそうです。光秀はこの本能寺で信長を討ち取りました。

その後、安土城をおさえた光秀でしたが協力者がおらず孤立します。そして羽柴秀吉(豊臣秀吉)との戦い、山崎の戦いで敗北し明智光秀は自害しました。本能寺の変から11日後の事でした。

これで明智光秀について覚えておくべき事、3つを終わります。
光秀が信長を裏切った本当の理由は分かっていません。
そのほかにも沢山の出来事や人物が関わっていますので興味のある方は調べて見てください。

戦国時代の最強武将、織田信長について

以上、参考になれば嬉しいです。
ありがとうございました。

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