織田信長ってどんな人物

wikipediaから引用
織田信長 (1534年6月23日-1582年6月21日)
日本で一番人気のある戦国武将 織田信長について解説します。
織田信長について覚えておくべき事 4つ
2.鉄砲という新兵器
3.仏教勢力との戦い
4.本能寺の変(ほんのうじのへん)
1.桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)
子供の頃は暴れん坊でうつけ者(ばか者)と呼ばれていた。
18歳の時に父親が亡くなり、そこから尾張一国の支配を全国に広げていく。
当時の時代背景
室町幕府は京(現在の京都府)にあったが応仁の乱によって幕府内で内輪揉めが起きていた。応仁の乱とは簡単言うと後継者争いで11年も続く。その間に各地で力を付けた武士が出てくる。日本各地で幕府の力の及ばない独自の国家として権力を持ったのが戦国大名だった。その中で尾張の戦国大名が織田信長だった。
信長は室町幕府のある京を含めた近畿一帯を支配しようと天下統一を掲げて隣国と戦っていった。信長の名前を全国に轟かせたのが1560年の桶狭間の戦いであった。
駿河(現在の静岡県)を支配していた今川義元は当時の最大勢力だった。今川が2万5千人の勢力に対して信長はわずか2千人。10倍以上の人数差があったが奇跡をおこして今川義元を倒した。戦略に関してはいろいろな説がある。地形や天候を利用したとか、油断している所に奇襲をかけた等がある。誰もが想像していなかった信長の勝利でこれをきっかけにどんどん有名になっていく。
2.鉄砲という新兵器
尾張から京都に攻める為に三河(現在の愛知県東部)にいた松平と手を組む。(西に攻めて行く為に東を抑えた)この松平が後の徳川家康である。そして美濃(現在の岐阜県)を支配して岐阜城に移る。信長がとても強かった理由は鉄砲だった。ヨーロッパから種子島(鹿児島県)に伝わっていた鉄砲に目をつけて大量に作らせた。鉄砲があれば無敵じゃん、作りまくれと指示を出していた。信長の有名な戦い1つ長篠の戦いでは、用意した3,000丁の鉄砲を使い騎馬中心の武田軍を撃ち破った。
信長は新しいものや考えをどんどん取り入れる性格だった。当時は誰でも商売は出来ない状態だった。しかし信長はそんなのおかしいだろ、みんな自由に商売していいよ、と認めた。これを楽市楽座と言う。
3.仏教勢力との戦い
当時はいつ裏切られるか分からない戦国の世の中なのでどの武将も倒した相手に対して残虐な事を行なっていた。歯向かわないように徹底的に倒していた。
4.本能寺の変(ほんのうじのへん)
明智光秀が1万人、織田信長はわずか30人だった。武力によって天下統一に突き進んでいた信長は道半ばて敗れてしまった。
そのほかにも沢山の出来事や人物が関わっていますので、興味のある方は、調べて見てください。
これで織田信長について覚えておくべき事4つを終わります。
以上、参考になれば嬉しいです。
ありがとうございました。
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