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新撰組 沖田総司について簡単に知りたい方、必見!!

今回は沖田総司(おきたそうじ)について解説します。

沖田の三段突きは目に見えない
幕末の人斬り集団、新撰組の最強剣士、沖田総司ってどんな人物

沖田総司について覚えておくべき事、3つ
1.近藤勇との関係
2.破天荒な天才剣士
3.池田屋事件

新撰組とは

江戸時代末期に幕府の警察のような仕事をしていた。当時は尊王攘夷運動によって開国派の幕府を倒そうと言う人が沢山いた。そこで幕府の将軍を警護する組織が作られた。それが新撰組で沖田総司はそこで一番隊の隊長だった。

1.近藤勇との関係

沖田総司は1844年に江戸の白川藩(現在の東京都港区西麻布)で生まれた。幼少期に父を亡くし生活は貧しかったと言われている。9歳の時に江戸にあった天然理心流道場に入門し内弟子になる。ここから剣術を学んでいく。その道場の三代目宗主が近藤周助で養子となって四代目を継ぐのが近藤勇だった。ここで近藤勇と沖田総司が出会う。近藤勇は沖田総司の兄弟子だった。

しかし跡取りである近藤勇とは生活環境が大きく違い沖田総司は手伝いや家事に追われ、食事も質素でお腹いっぱいに食べることは出来なかった。その時に近藤勇は他の人に内緒で食事を与え、身の回りの面倒をみていた。その時の恩義はとても大きく、その後の沖田総司の人生は近藤勇に捧げたと言っても過言ではない。

1863年近藤勇が浪士組(新撰組の前身)への志願をきっかけに沖田総司も付いて行く。沖田総司には尊王とか佐幕(幕府を補佐する)と言う思想は無かったと言われている。新撰組として『人殺しの道具』と揶揄されても活動したのは、只々、近藤勇の為だった。

2.破天荒な天才剣士

沖田総司は天才剣士と言われていた。19歳で免許皆伝となり塾頭になる。竹刀を用いた立ち合いでは後の新撰組副長となる土方歳三や他の有名剣士を圧倒していた。一番有名は技は三段突きで、構えの姿勢から一度の踏み込みで三回突くと言う目にも止まらぬ速さだったと言われている。

稽古がとても厳しく師範の近藤勇より恐れられていた。沖田総司の有名な言葉に『刀で斬るな。体で斬れ』がある。しかし剣から離れると全くの別人だった。性格は分け隔てなく無邪気であり近所の子供とも仲良く話していた。

沖田総司はイケメンで美青年のイメージがあるが実際は一枚も顔写真が見つかってない。天才的な剣術、無邪気で破天荒な性格、色白の美青年は、最近のフィクション作品からの影響が強い。

3.池田屋事件

沖田総司の新撰組の活動の中で一番有名な出来事である。1864年長州藩尊王攘夷派の志士20数名が集結していた池田屋を新撰組が襲撃する事件が起こった。これが池田屋事件である。尊王攘夷派は幕府を倒そうとする人たちなので新撰組からは敵であった。長州藩の志士は7人が死亡20人以上を逮捕した。長州の吉田稔麿や肥後の松田重助など有名志士を一瞬で倒したと言われている。

しかしこの時すでに沖田総司は肺結核を患っており喀血しながら戦っていた。その後、沖田総司は一線を離れ療養生活に入ったがこの肺結核が原因で亡くなった。享年27歳であった。

自分が亡くなる直前まで近藤勇の事を心配していたと言われている。
幼少の頃、近藤勇にして貰った恩を忘れず、全てを一人の為に捧げた人生であった。

これで沖田総司について覚えておくべき事、3つを終わります。

今回は沖田総司の事を凝縮してお伝えしました。
そのほかにも沢山の出来事や人物が関わっていますので興味のある方は調べて見てください。

以上、参考になれば嬉しいです。
ありがとうございました。

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