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日本の有名な偉人 聖徳太子について簡単に知りたい方、必見!!

今回は聖徳太子(しょうとくたいし)について解説します。


wikipediaから引用

飛鳥時代を代表する人物
一度に10人の話を聞き取れると言われている聖徳太子ってどんな人物?

聖徳太子について覚えておくべき事、3つ
1.仏教の布教
2.冠位十二階と十七条憲法
3.遣隋使

1.仏教の布教

聖徳太子は天皇家の一族で本名は厩戸皇子(うまやどのおうじ)と言います。聖徳太子と言う名前は業績を称えて贈られた名前です。聖徳太子は仏教を支持していた蘇我氏(そがし)と深い繋がりがありました。蘇我馬子(そがのうまこ)は、聖徳太子の妻の父親です。蘇我氏と聖徳太子は、日本古来の神様を支持していた物部氏(もののべし)を滅ぼして政治の実権を握っていきました。

仏教は6世紀の半ばに百済(くだら)から伝えられたと言われています。多くの豪族や天皇家も仏教を信じるようになっていきました。607年ごろに聖徳太子は法隆寺を建設しました。お寺を建てることは仏教を深く信仰している印でした。多くの人々に仏教の教えを広めようとしていました。

この法隆寺は聖徳太子が亡くなった50年後に火事で全焼してしまい、今ある法隆寺は再建されたものです。これが現在日本に残っている木造の建築物で一番歴史のある物だと言われています。日本最古の木造建築物は法隆寺です。

2.冠位十二階と十七条憲法

物部氏を倒した聖徳太子は政治の大改革を行いました。その中で有名な2つが冠位十二階と十七条憲法です。冠位十二階は天皇に使える役人を12の地位にわけて、冠の色で身分を区別する制度です。一番上が大徳(だいとく)で色は紫、一番下が智(ち)で色は黒やグレーでした。この時代は家柄で役人の地位が決まっていましたが、聖徳太子は家柄に関係無く実力があれば地位の高い役人になれると言う仕組みを作りました。

十七条憲法は役人に対するルールです。当時の役人は税金使い放題、賄賂ももらいまくりでした。そこで憲法によってルールを決めて国民の利益を守るようにしました。また天皇の命令には必ず従うように書かれていて天皇中心の政治体制を理想としていました。

3.遣隋使

飛鳥時代は隋(ずい)中国大陸から入ってきた文化や学問で日本はどんどん豊かになっていきました。当時は隋が強大な力を持っていました。聖徳太子は隋から学んで対等な国を作ろうとしていました。そこで隋に使者を送ります。これが遣隋使です。

607年に小野妹子(おののいもこ)を隋に派遣して手紙を持たせました。その手紙には『日出づる処の天子、書を日没する処の天子にいたす』と書かれていました。簡単に言うと『日本(太陽の出てくる国)の皇帝から、隋(太陽が沈む国)の皇帝へ手紙だよ、俺も皇帝だからよろしく』と言う意味だそうです。この手紙で隋の皇帝はブチギレたそうです。その後、日本に戻った小野妹子は『隋の皇帝からの手紙を泥棒に盗まれた』と言ったそうです。一説には内容が酷すぎて聖徳太子に見せる分にはいかないと思い小野妹子が捨てたとも言われています。この小野妹子は名前は可愛らしいですがオッサンです。

遣隋使として隋に留学していた人々は20年ほど学んで、新しく政治や文化を切り開く指導者になっていきました。大化の改新の後の沢山の改革は隋に行った留学生によってなされていきました。

ちなみに有名な聖徳太子の肖像画は本人では無いそうです。聖徳太子は6世紀〜7世紀の人物ですがこの服装は7世紀末の物で奈良時代に描かれた肖像画だそうです。

wikipediaから引用

これで聖徳太子について覚えておくべき事、3つを終わります。
そのほかにも沢山の出来事や人物が関わっていますので興味のある方は調べて見てください。

以上、参考になれば嬉しいです。
ありがとうございました。

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