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日本の有名な戦国武将 真田幸村について簡単に知りたい方、必見!!

今回は真田幸村について解説します。


wikipediaから引用

イケメンでとても強いイメージ
ファミコンソフトの真田十勇士が楽しかった
日本一の兵(ひのもといちのつわもの)と呼ばれた真田幸村ってどんな人物?

真田幸村について覚えておくべき事、3つ
1.人質時代
2.六文銭に赤い鎧
3.大阪の陣

1.人質時代

真田幸村は信濃国(現在の長野県)上田城の城主、真田昌幸の次男です。父の昌幸は甲斐国(現在の山梨県)武田信玄の家臣である武田24将の1人でした。幸村の本名は信繁(のぶしげ)です。父の昌幸は武田家に仕えていましたが織田家(織田信長)に敗北し滅んでいきました。そこから織田家に仕えますが本能寺の変で織田信長が討ち取られます。

この時に隣国の徳川家、北条家、上杉家が信濃の獲得を目指し攻めて来ました。兵力で圧倒的に不利な真田家は父の昌幸が忠誠の証として幸村を上杉家に人質として差し出します。幸村は戦局に合わせて20歳まで各地で人質として過ごしました。ただ人質と言っても今のイメージとは違い待遇は悪く無かったそうです。

その後、豊臣家が強大になってきた事から父の昌幸は上杉家から離れ豊臣家に仕えます。そこで幸村は豊臣家の人質として過ごし豊臣家の家臣の娘と結婚しました。そこから幸村は豊臣家の家臣として尽くしていきました。

幸村は次男で長男は信幸(のぶゆき)です。父の昌幸と長男の信幸は戦いが強く有名な武将でした。そんな兄の信幸は徳川家の家臣の娘と結婚します。これは真田家にとっては凄い状態です。長男は徳川家、父と次男は豊臣家に仕えています。その後、豊臣秀吉がこの世を去り『天下取りは誰になるのか?』と言うところで1600年に関ヶ原の戦いが勃発します。親子が、西の豊臣家、東の徳川家に分かれて戦いました。しかしこれは父の昌幸が『どちらが勝利しても真田家が存続出来る様に』と始めから考えていた事だと言われています。

この戦いで徳川家が勝利して豊臣家に仕えていた父の昌幸と次男の幸村は14年間も和歌山県に幽閉されました。

そして徳川家康が天下をとりますが、豊臣秀吉の息子である豊臣秀頼を見た時に『こいつは只者ではない、いつか徳川家を脅やかす存在になる』と感じ豊臣家を滅ぼす決断をします。豊臣家もその事に気づき大阪城に反徳川の陣営をつくりました。幸村も中心人物の1人でした。そして戦国時代の最後の戦い『大阪の陣』が勃発しました。この戦いで幸村は『日本一の兵』と呼ばれる様になります。

2.六文銭に赤い鎧

幸村と言えば六文銭と赤い鎧です。これは赤揃えと呼ばれ強い武将が率いる精鋭部隊に多い色使いでした。六文銭はこの世とあの世を結ぶ三途の川の渡し賃が六文だったと言われおり武将達は『死ぬ覚悟は出来ている。命を懸けて戦い抜く』と言う意志の表れでした。

3.大阪の陣

徳川家康は豊臣家を滅ぼすために多くの武将を率いて豊臣秀頼や真田幸村のいる大阪を目指し進軍して来ました。1614年に大阪の陣が勃発します。徳川軍20万人に対し豊臣軍は9万人だったと言われています。

その中で幸村は真田丸と言われる砦にこもって少数で徳川軍と互角に戦いました。幸村の戦略が効果を発揮して徳川軍に大きなダメージを与えました。豊臣軍は篭城作戦で対抗しますが毎日撃ち込まれてくる砲弾に苦戦し次第に兵力を削がれていきます。勝ち目が無いと感じた豊臣軍は和平交渉に応じて徳川軍が勝利したカタチで冬の陣は終了しました。和平交渉の条件には大阪城の堀の埋め立て、最強の砦の真田丸の取り壊し、豊臣家の領土はそのまま、戦いに参加した武士達の罪は問わないなどがありました。

一旦はまとまりましたが、家康は再度『いつか豊臣家は滅ぼさないといけない』と思い、豊臣家も『砦が無いのはまずい、作らねば』と思い真田丸を再建します。そんな睨み合いの中、再び戦いが始まります。冬の陣の翌年の夏、これが大阪夏の陣です。

この戦いの前に家康は幸村を誘っていたと言われています。『10万石で徳川に来い』と言うものでした。これを幸村は拒否をします。しかし諦めきれない家康は『じゃあ、信濃一国でどう?』と再度誘いました。すると幸村は『10万石ごときでは寝返らないが信濃一国なら寝返ると思ったか?馬鹿にするな!!』と答えたそうです。

どんなに劣勢であろうとも武士道精神で豊臣家に対する忠義を守り抜きました。

そして戦いでは幸村とその精鋭部隊が家康の本陣手前まで攻め入りますがあと一歩のところで幸村は大きな傷を負ってしまい討ち取られました。

幸村の最後の言葉は敵兵に対し『この首を手柄にされよ!』だったそうです。

大阪夏の陣での幸村の活躍は敵の徳川軍の間でも話題になり『真田、日本一の兵』と言われ武勇伝として現代まで語り継がれています。

死を恐れず忠義を尽くす、豊臣家のため、仲間のため、家族のために生きた戦国時代最強武将の1人でした。

これで真田幸村について覚えておくべき事、3つを終わります。
そのほかにも沢山の出来事や人物が関わっていますので興味のある方は調べて見てください。

ファミコンソフトの真田十勇士は1988年に発売されたロールプレイングゲームで、プレイヤーは父である真田昌幸の命を受けた真田幸村となり、日本各地にいる真田十勇士を集め、仇敵の徳川家康を討ち取るのが目的です。ロールプレイングゲームなのに経験値の概念が無かったのが新鮮でした。徳川家康を討ち取るって今思うと凄いゲームです。

iOS系でダウンロード版があるみたいなので22年ぶりにやってみようと思います。

以上、参考になれば嬉しいです。
ありがとうございました。

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